さっぱり・・・

Leica MP Summarit 5cm f1.5  DELTA400

わかりません。
最近、自分の撮りたいものがさっぱりわからないのです。
何にカメラを向けても、「違うな・・・」と感じてしまいます。
前にもこんなことあったような気がします。
少し撮るのを止めてみようかと思います。
長引かなければいいですが。

庭先の時計

EOS-1V EF24-105mm 1:4 L IS USM   ILFORD DELTA400

今日、「当たり前」ということについて考えさせられる事がありました。
若い頃や経験のない頃に、「当たり前」と思っていたことが、実は誰かの配慮の結果だったり、好意のおかげだったりと気付くのは難しいことかもしれません。
いや、少し物が見えづらくなった今だって、「本当に気付けているのか」と問われれば、自信はありません。
何事もなく過ぎていく日々の時間でさえ、ほんとうは「当たり前」ではないのかもしれません。
この頃やっと「当たり前のことなど本当は無いのかもしれない」と少し思えるようになってきたような気がします。

足尾銅山の町(その4)

EOS-1V EF24-105mm 1:4 L IS USM   FOMAPAN100

天気があまり良くなかったせいもあり、辺りが暗くなってきたので、古河機械金属(株)足尾事業所を後にし、駅に戻ることにしました。
この橋は古河機械金属(株)足尾事業所の側の河に掛かっている橋ですが、橋の床が木で出来ており、老朽化のため今は渡れません。
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山茶花

Rolleiflex 2.8F  Xenotar80mm/F2.8  ILFORD DELTA100

ある人に「ライカで撮った写真は他のカメラで撮った写真とどこが違うのか?」と聞かれたので、「何も違いません」と答えたら、変な顔をされたけど、逆に見分ける方法があるなら教えて欲しい。

追記
まず最初に、多分この話には正解も不正解もないと考えています。
その上で、僕が考えるライカの魅力を書くとすれば、ライカの魅力は「撮られた写真の魅力」とうより、「道具としての魅力ではないか」と考えています。
今更僕が言うまでもなく、ライカが長年愛されている理由はそのカメラそのもののデザインや質感や重さ、シャッター音や感触、ファインダーの見え方、使いやすさや使い難さも含めて機械としての魅力があります。
また、写真を撮るときに自分でシャッタースピードのダイヤルを回し、レンズの絞りリングを合わせ、ファインダーの距離計を合わせてシャッターを押すそんな手の掛かる動作も含めてライカは愛されてるのではないかと感じます。
ただ、これも個人的な感覚の部分が大きいので絶対的な理由などではなく、今までライカで撮られた過去の偉大な名作の存在がライカ信仰の大きな理由でもあると感じてます。
現に僕は同じレンジファインダーならライカよりbessaのカメラの方が好きだったりします。
だから、ライカの魅力について言えば、ライカで撮られた写真に魅力を感じる人もいれば、カメラそのものに魅力を感じる人もいて、それはその人の感じ方の問題なのでどれが正しいということもないと思います。
ただ、僕が思うのはカメラの善し悪しと、撮られた写真の善し悪しは全く違う次元の話ではないかということです。
僕には同じような条件(フィルムザイズや焦点距離や撮影条件)で撮られたライカの写真とと他のカメラの写真の違いは正直判りません。
そんな意味もあって、「ライカで撮った写真は他のカメラで撮った写真とどこが違うのか?」との問いに「何も違いません」と答えた訳です。

さらに追記
よく考えると、「何も違いません」と答えるより「何も知りません」と答えるのが正解だったかもしれません(笑)