今日、「当たり前」ということについて考えさせられる事がありました。
若い頃や経験のない頃に、「当たり前」と思っていたことが、実は誰かの配慮の結果だったり、好意のおかげだったりと気付くのは難しいことかもしれません。
いや、少し物が見えづらくなった今だって、「本当に気付けているのか」と問われれば、自信はありません。
何事もなく過ぎていく日々の時間でさえ、ほんとうは「当たり前」ではないのかもしれません。
この頃やっと「当たり前のことなど本当は無いのかもしれない」と少し思えるようになってきたような気がします。
いつも鳥を撮っていて感じる事。毎年季節の鳥を追いかける繰り返し行為に
これでいいのかな?って。でも最近少し考えが変わりました。
毎年同じ事が繰り返される自然の恵みをありがたく享受することに。
桜の咲くのを待ち焦がれ、お花見を楽しむ日本人の心のような。
誰かの行為や誠意も同様かなと・・・こじつけました(^_-)
今日のブログの写真を撮ってるとき 同じような思いでした。
誰かのおかげで 過ごせてること感謝してます。
見えてるはずなのに見てないこともあるし
それがわかった時新鮮に思えます。
体調を崩した時に分かったりします。
美味しくご飯が食べられるのは、「あたりまえ」ではなく「ありがたい」のだなあ(^^;
いるのが当たり前だった、ペットのわんこに感謝しています。
坂の上の蜘蛛さん
ゆうみさん
南穂さん
komeさん
普段は意識はしませんが、そんな普段の生活が出来ることが「当たり前」ではないのかもしれませんね。
考えさせられますね。
soraさん
こんなこと考えても、またすぐに忘れちゃったりするんですけどね。(笑)